ひよこ、すずりにむかいて

呼吸は残らないけど文字は残る

なかなかにロック

ジェットコースターみたいな年だ。

 

20年間住んだ家に帰ることを体が拒否するようになって、

気がついたら入院してて退院してて

新しい家が決まってて名義が私で

彼氏が正社員になった

 

最後の以外全部自分が進めた事らしい

記憶が、ない

 

そもそも外泊もろくにしたことないのに

いきなり男と家を出てしまった。

(父公認だけど)

 

ちょっぴりロックかもしれない

 

大人しい子ほど切れると何をするか分からない?

窮鼠猫をかむ?

 

猫は母と言うか現実って感じだった

 

うらんでるわけではない

 

そもそも母の実家は両親が死ぬほど忙しくて、

父は家庭を持っても消費者にしかなれない人で

そのうえ産まれてきた子どもが育てづらい子で

確実にキャパオーバーだったと思う

 

と、かばいたい気持ちと、

 

私が何か大切だと知ると(高校の制服とかランドセルとか)

「捨てて良い?いらないよね?ね?」

とか、

「あんたのものはこの家に一つもないのよ」

とか、

家の外の人と関わると嫌な顔されたりとか

 

娘から搾取することに悦びを覚えるようになったシステムは分からない

 

んー、どうしてなんだろう

不可解

 

父が「お母さんに苦しめられたんだよね?

かわいそうに、お金をあげるよ

(だから俺は良い親だろう?)」

ってスタンスはほんと反吐が出る

 

お母さんを悪者にしてるみたいですけど、

そこまで追い詰めたのあなたですよね・・・?

おわすれですか……?

 

弟の事、私のこと、ペットの猫の事、

どう思ってますか、って

メールしたら返信こなくて、二週間後に

「お金要りますか?」ってメール来たよ

要るとは言ってないけど振り込まれてたから使っちゃった

んーこのへん今後どうしよ

よくないよねぇ

 

そろそろ晩御飯作らなきゃ

なににしようかな

ふたりでいるのにひとりぼっち

ずっと悩んできた症状だ。

 

相手がそれはもうめちゃめちゃ好きでいてくれていて、

何でも言って、過去の事でも八つ当たりでもいい、と

言ってくれているのに、

何故だか四年間とっても孤独だった。

 

一人で悲しい事をエンドレスで考えているとき、

私はなぜか満たされていた。

 

一人で居るとき、私は直径163cmの白い丸だった。

二人で居ると、円と円がちょっぴり重なって、

殻つきのピーナッツみたいな形になった。

 

完全からは少し遠のいた。

 

完璧でなくては、とずっと思っていた。

理想の娘にならなくては、とも思っていた。

 

けど、なれなかった。

 

二十年を過ぎた頃から、母は私に何の感情もなくなったようだった。

 

ずっと理想の娘になりたかったのに、ほめてもらいたかったのに、

ついになれなくて、最後に言われた言葉は

「そんなにお母さんの事嫌いなの」

だった。

(詳細には、「お母さんの事嫌いなんでしょ?倒れても呼ばないで」だった)

 

母から好かれなかったのは私が悪かったんだ、

わたしはなにも頑張ってこなかったんだ、と

ずっと考えていた。

 

彼氏は相変わらず、

何でも言って、八つ当たりでも良いよ、と

隣でにこにこしてくれている。

 

それどころか、生きているだけで嬉しいと言ってくれる。

 

生きていていいんだなあ。

 

生きてるだけで丸儲け、って、良い言葉だなぁと思う。

 

少しずつ、私のための人生を歩みたい。

 

生きています。

書け、書け、書け

昔から、なにか残る遊びが好きだった。

編み物とか、塗り絵とか、写真を撮るのとか。

 

小学生高学年くらいから、テレビゲームが怖くなった。

時間がただ過ぎていくのが、ソフトをなくすのが、怖かった。

 

文章を書くのは素敵だ。

一秒単位で人生が残る。

 

私は物凄く忘れっぽくて、

自分のことをよく忘れてしまう。

(自分の顔をよく覚えていなくて、鏡を見るたびに新鮮な気持ちになる)

 

今、手帳のおりないADHDやらで

就職するのが難しくて、

結構悩んでいる。

 

同居している彼氏に、

高校生のときの部誌を読まれたのだけど、

「これ面白いよ」

と言って貰えた。

 

自分の書いた文章を肯定してもらうのは、

人生で5回目くらいだった。

 

書きたい。

 

書く道しか残っていない気がする。

 

書け、書け、書け。

 

 

深淵に立つ

メモ帳を開いて、小説を書き出そうとしている。

 

さっきミュージックアプリで、

マイケルジャクソンを初めてちゃんと聴いた。

 

どっちも、元から好きだと予感していたものだ。

今、すこしずつ好きになり始めている。

 

この二つがこれから人生を支配する可能性も無きにしも非ず。

 

ほぼ初対面だけど、どちらかに一生かけても良いと思っている。

 

ここは深淵のすみっこなのか、それとももう真ん中に居るのかもしれない。

それなら、深淵って抜けやすいものなんじゃないかな。意外と。

 

いまざっと調べたら、深淵って、

ただの場所じゃなくて水の深いところも表すんだって。

なるほど、居心地が良いわけだ。

 

良い感じに助走がついたので、メモ帳の白い海と対峙してきます。

何も居ないから恐怖を感じる白い海。

見えないものがいる、というか、すべてがそのもの。

 

ではでは。

 

 

26歳(またはそれ以上)漫画家デビュー狙いの人へ捧ぐ

 

www.weblio.jp

 

漫画の奨励賞のサイトを見た。

 

奨励賞の意味を調べた。

 

「今後への期待や激励を込め」……。

 

そのサイトの見ると、他にも二十代後半の人はいた。

三十代後半の人もちらほら居た。

 

私には今、読みかけの本がある。

 

「小説家になる方法(著:清水義範)」

という本だ。

 

私は、小説家になりたい、と思っている。

 

そして、それが許される年齢にいる。

 

 

先程挙げた本に、

「作者は読者のなれの果て」

という題の章がある。

 

私が小説家になりたい理由はまさにそれだ。

文章の持つ力が好きで好きでたまらないからだ。

 

この賞に応募している人たちもきっと、

漫画が好きで好きでたまらないのだと思う。

 

でもそれって、本当だろうか。

 

この応募した人、受賞した人ですら、

漫画を好きで居続けられている人は

どのくらい居るのだろう、と思う。

 

この記事を書くきっかけになった人(2015年に26歳)の

ペンネームを検索しても、受賞作以外何の情報も出てこない。

 

職業として成り立たないと、

世間の目は冷たい。

 

(当時)26歳のデビュー前の漫画家さんは、今どうしているだろうか。

 

今も漫画が好きだろうか。

 

私はいつまで小説家になりたいと思えるだろうか。

 

(小説家になりたいというより、

書いたものがきちんと残せる人になりたい。)

 

いつまで好きで居られるだろうか。

 

私は書きたい。許される限り文字や文章と繋がりたい。

そして人を救いたい。いつかそうしてもらったように。

221回目の夜-はじめて、ひとりバーに行く-

この前、

家庭などについて3つほど記事を書いたわけでございますが……

 

あの夜はなかなか素敵な夜でした。

忘れないうちに書き留めておこうと思います。

 

 

あの日の私はとてもやさぐれていました。

 

同棲している彼氏がバイトから帰宅したとき、

「じゃあおれ、友達のところ泊まりに行くから」

と、出て行ってしまいました。

 

その件については元からいろいろあったり、

晩御飯はなににしようかな、とか、

食後は今日届いたお茶を取っておいて一緒に飲もうかな、とか

まあ私も期待を募らせすぎたところはあるのですが、

 

そんなこんなで、終電あと、私は一人になってしまいました。

 

寝ようにもなかなか眠れず、体力があまっていたので、

 

「よっしゃ!一人でバーデビューしちゃおうかな!」

 

と、ほぼ深夜テンションの勢いで、

 

化粧をして、暖かい中ダウンコートを着て

(夜道、シルエットが女性すぎないように)

家を出ました。

 

(女性の皆様、深夜に歩くのはできるだけ控えましょう。)

 

この町に引っ越してきてからちょうど一ヶ月くらい、

深夜に町を歩くのは初めてで、

ものすごい不良になったようでどきどきしました。

 

駅前は、明かりはついているものの静まり返っていて、

人はものすごくたまにすれ違うだけでした。

何故だかおじいちゃんが多かったかな。

 

バーの前に着きました。

 

閉店一時間前くらいでしたが、もう看板はclosedになっていました。

 

どうしようかな、と思って、

スマートフォンでこのあたりのバーを検索すると、

もう二軒ほどあり、

 

そのうちの、

「お酒に詳しくなくても、好みの味を伝えるとお勧めを出してくれる」

というバーが気になり、

徒歩十分くらいだったのもあり、

お店に電話をかけました。

 

電話は10コールくらいでつながりました。

 

「まだやっていますか?」

と聞くと、

「やってますよ」

と、男の人の声が返ってきたので、

向かうことにしました。

 

 

線路沿いを歩いていると、

真っ黒い猫が少し前を歩いていました。

 

「ねこ、ねこ」

と声をかけると、こちらを振り向き足を止め、

しばらく見つめあいました。

 

猫は一度、

「にゃあ」

と鳴きました。

 

そして猫は、えさをもらえないと分かると

マンションの間の細い道の中に

消えていきました。

 

猫が完全に見えなくなったあと、

再びバーへの道を一人歩きました。

 

その約五分後、

スマートフォンの地図に入力したのに

お店が見つからず、

しばらくぐるぐる歩いていると、

やっと見つけました。

 

店の前は少しだけ階段になっていて、

ほんのりあかりが外へ漏れています。

 

どきどきしながらドアを押しました。

 

「いらっしゃいませ」

おそらく電話の声の主でした。

 

カウンターの一番手前に、

恐る恐る座りました。

 

奥のほうには男女が二組、

カウンターの中には

かっちりした格好の店員さん(マスター?)が

数名いたと思います。

 

壁にはギターやあすすめのお料理が書いてあって、

緊張もあってきょろきょろしてしまいました。

 

落ち着かないでいると、

しばらくしてマスター(だと思う)が

メニューを持ってきてくれました。

 

メニューの下のほうに

「載っていないものもあります、お好みをお伝えください」

といったことが書いてあったので、

そうしよう、と思い

 

しかしカウンターの向こうで

お客さんと話しているマスターをなかなか呼べず、

しばらくメニューを見て時間をつぶしました。

 

「お決まりですか」

と、マスターが私の前に来て言ったので、

「すみません、詳しくなくて、おすすめのにしたいのですが」

と返しました。

「どんなものが好きですか」

「甘くて、変わった味の、強めのをください」

「変わった味ですか」

パクチーとかラム肉とかが好きなんです」

というと、少し笑われました。(いい意味で)

 

しばらくして、

円柱型の低いグラスに大きな氷がひとつ、

透き通った深い色のお酒が来ました。

 

「カクテルではないのですが、どうぞ」

 

そういってマスターは、先程話していたお客さんのほうへ戻っていきました。

 

おそるおそる口をつけると、

希望通り飲んだことのない味でした。

 

好みの味だけれど、

これはなんなのか、度数はどのくらいなのかが分からず、

ほんの数ミリでくらくらするような気がしました。

 

こんなに酔っ払ったことないよお、困ったなあ、

飲みきれるかなあ、と思いつつ、

一緒に出されたナッツをつまみながら、

黙々とちびちびと飲んでいました。

 

しばらくしてマスターが、私のほうへ戻ってきました。

 

「明日はお休みなんですか?」

「あ、いえ、在宅ワークなので(便利な言い訳)、

ほとんどいつでも休みみたいなものです」

「そうなんですか」

「これ、なんてお酒ですか?」

 

やっと聞けた!……。

 

「これは、イエーガーマイスターというハーブリキュールです」

「あ、一回飲んでみたかったんです、嬉しいです」

 

失礼じゃないだろうかと思いつつも、瓶を見せてもらいました。

(こっそり度数をチェック…)

35度と書いてありました。

 

思ったよりは度数低い…!と分かると安心して、

酔いが醒めてきました。

 

しばらくマスターとお話をして、

(音楽の話、一度聞いてみたかった「どうしてバーに勤めているのか」など)

 

飲み終わり、閉店も近いので、

お会計を済ませて、ふたたび外へ出ました。

 

できるだけ明るく広い道を通り、

居酒屋から出てくるサラリーマンを見つつ、

家に着きました。

 

そしてパソコンをつけ、

この前の記事を書いたわけでございます。

 

 

くれぐれも夜道にはお気をつけて。

 

危ないのも分かってるけど、

どうしても一度やってみたかったので

やってしまったぜ!というお話でした。

 

 

 

 

 

 

220回夜を越えて ③毒親と気付いて。去年末から現在まで

そして、①に書いた不本意家出が始まる。

9999stories.hatenablog.com

 

帰りたい気持ちはあるのに家に帰れなくなって、

精神科の先生に泣きついたところ、入院が決まった。

 

診察室から仕事中の母に電話をいれた。

「あ、そう」と少し驚いた声が返ってきた。

 

入院まで数日あったが、家には帰れなかった。

友達の家に泊めてもらったりしていた。

 

着替えを取りに帰ったら、母と鉢合わせした。

母は憔悴していた。

「おかあさんが悪いの?おかあさんが嫌い?出ていけばいい?離婚すればいい?」と言われ、どうしていいか分からなかった。

うん、とも、いいえ、とも言えなかった。

ペットの猫の病院の時間が近く、母は家を出て行った。

私は久々の家でしばらく死んだ(自分の部屋で過呼吸)あと、

逃げるように家を出た。

 

(このころ街中で倒れて救急車のお世話になった。

救急隊のおじさんに「精神病なのに乗ってすみません、痛くもないのにすみません」と謝ったら、

「いいんだよ、助けるためにあるからね」と言ってくれたので、号泣してしまった)

 

一瞬だけ、ウィークリーマンションに住んだ。

家に帰らないよりは、と、お金は母が出してくれた。

 

母とうまくいかないから出て行くのに、死にかけているのに、

「ねえ、もっと家からちかいところないの?」

「おかあさんさみしい」

「お父さんのためにご飯作るのめんどうだな」

と言っていた。

それに対しても私は、ごめんなさいごめんなさい悪い娘で……と

夜中思い出しては泣いていた。

 

 

そして、バレンタインデーからホワイトデーまで入院。

 

病名が変わった。

統合失調症から、ADHDに変わった。

 

そして、入院中に父と話し合いをして、

家族会議(という名の夫婦喧嘩)をして、

家を出て生活しています。

 

家を出たのが約一ヶ月前です。

父の提案で、彼氏と同棲しています。

それも父としてどうかと思うけど……

 

私は少し性格が変わりました。

よくもわるくも、怒りというものを覚えました。

 

母には引越しの日に「引越ししました」とラインしてから返信がないので

それっきりです。

 

そして今日に至る。

 

またたぶん愚痴こぼすけど、ゆるしてね。

21年分なんだもん。

 

では、ひとくぎり。