ひよこ、すずりにむかいて

呼吸は残らないけど文字は残る

今年もがんばらっしぇー!(あけおめです2018)

こういうときに

「あけましておめでとうございます」

と書くのになんかもぞもぞしてしまいます。

 

いつぞや部活の演奏会のパンフで、一人何百文字とかだったんですけど、

全員冒頭が決まって

「お越しいただきましてありがとうございます。~」で、

この人のこの文字の分、他の考えてる事を聞きたいなぁと思ったりしたものです……

いざ書くときになって、やっぱ感謝から始めたいという気持ちになったし、

社会人として正しいな~とは思ったのですが……

 

せっかくタイトルをつけたので、

今年の抱負的なものを……

 

去年の前半はそれはもうガンガン与えられる側で、

サービスを受ける側、文句を言う側、供給しない側…という……

 

なにかを作り出す年にしたいです。

一歩進めたら良いなと思います。

 

グッッとくるような何かに出会えますように!

健康第一

 

なんか神社みたいになっちゃった。笑

 

偶然これを読んでくださった皆様にも、良い年になりますように。

 

ではっ

いちかわはるこせんせーについて

年号などを覚えるのが苦手で、いつからかは分からないけど、

結構前から好きでした。

 

高校一年生の頃?あれっ中三だっけ、

冬の終わりごろに、友人から、

一冊めの短編集「虫と歌」を借りたのがきっかけでした。

すぐに自分で買って、繰り返し繰り返し読んだ。

何度読んでも、星の恋人のあのシーンでどきどきした。

 

しばらくして25時のバカンスが出た。

絵柄が変わったな、とか、二冊目にして通ぶったことを言ったりした。

でもなんとなく、一冊めの、

クッキーを焼く前の生地みたいなところが好きだったのは本当……です!

25時のバカンスの絵柄は、ちょっとつやつやしていて、

ババロア・・・?に近い。

 

話は、表題作が一番好き。

乙女さんラヴい。こたちゃんも好き。

 

んーでも、パンドラにて、も捨てがたい。

いやいや月の葬式も…。

 

やーでも読み終わった直後はそれでも虫と歌サイコーって思ってた。

でも今はどっちも一位になってしまった。

 

そしてそして、宝石の国の連載が始まった。

巻数が進むごとに、弓のようなし曲線が増えて、

宝石の光り……反射ではなく、内側からの輝きがもれているような、

そんな印象の絵柄になった。

 

最初は、キャラクターごとの群像劇かと思った。

短編集の濃ゆい感じが好きだったので、

あっさりしているような、

もっと言うと、呼吸が楽に出来すぎて退屈だった。

 

しかしやっぱり市川春子大先生の作品でして、

本筋が見えてきてからどんどん胸が締め付けられる。

フォスがキャラクーとして好きだし、

ある時は乗り移って一緒に悲しんで、一緒によろこぶ。(勝手に)

 

最近、先生の心?精神?魂?が好きだな、と感じる事があって、

宝石の国を書くそもそものきっかけは、

西方の極楽浄土が宝石で出来ている…というのを読んだことらしく、

そこから「宝石を救う」というテーマの作品を書いている事に、

この人は抱え込む人なのでは…と、勝手に思っている。

 

抱え込む人が好きである。

 

抱え込むというのは、とりあえず色々持つ力があって、

たくさんの力を持つというのは、孤独になる事だと思う。

 

私の好きな性癖ワードは「切ない」と「どうしようもない」なのだが、

確か何かのネットインタビューで、

「分からない」という言葉が好き、と、仰っていたと思います。たしか。

 

クラスのちょっと気になる女子の、

家の玄関の花を知った気持ち。

ちょっと嬉しい気持ち。

(ほんとは好きな子の給食袋の匂いって言おうとした)

 

自称理性を持ったファンですが、先生大好きです。ちょっと愛してます。

めっちゃ応援しています。

画集サイコーでした。

 

ん?これどこ宛に書いてるんだ。

 

では!

ちょっぴりだけ元気です

やっと元気になってきました。

 

あれからこの記事を書くまで、

精神障害者手帳の申請をすることになったり、

刺繍などの趣味をはじめたり、

また少しずつ文章を書けるようになったり、

 

前進している感じはあります。

 

また体調は悪くなると思いますが、

少しでも楽しもうと思います。

 

最近のマイブームは、結婚式でスピーチをする妄想でして、

式は挙げられなさそうなんですけど、

自分がいちばん何を人に伝えたいかまとめられるのもあって、

とても楽しいです。

 

最近考えたのは、

「あなたは、うっかり指を切ってしまう確率を知っていますか?

おなかが痛くなってしまう確率は知っていますか。

(なんかしら)

何も怪我をせず、健康で過ごせているという事だけでも、

それは物凄いことです。

普通って、奇跡のような事なんです」

 

的なことを言う妄想をしています。

ほんとはもういっこあるけど、ひみつです。笑

 

今日のお夕飯に、甘口のカレーを作りました。

夕飯が楽しみです。

とても暗いです

最近とても体調が悪く、

一日の20時間くらいを布団で過ごしています

 

部屋が真っ暗なのですが、電気をつけることもむずかしくて、

パソコンも立ち上げられないので、

スマホの画面だけが明るくて、玄関のガラス越しに街灯の灯りが少しだけ入ってきます

 

とても寂しいです

 

辛い時は絶対に頼ってね、と彼氏に言ってもらっていて、

本当は1秒でも長く一人でいるのがしんどいのですが、

彼氏にも人との関わりがあり、私だけを優先しろなんて言えないし、

「辛いときは誰かにいて欲しいものだよ」と言われても、

私の辛くない時はいつなんだろう?と思うと

怖くて言えません

 

本当はやりたいことがたくさんあって、

時間もあるのに、なにもできなくて、とてもつらいです

 

身体が軽くなったら、勢いで電車に乗って遠くへ行ってしまいそうなので、

身体の重さが取れるのも怖いです

 

本当にしんどい時は、病院にもカウンセリングに行くのも大変で、

行ってもすぐに良くなるわけではなく、

悲しいとか怖いとか、自分が全て悪いんだとか、そういった嵐が過ぎ去るのを、

ひたすら布団の中で待っています

その作業はとてもつらいです

 

また、自分が思いついた事をたくさん書きたいです

楽しいと思いたいです

 

必ず元気になるのも分かっています

 

では!

 

 

 

某映画を見て強く感じた事

某、交通渋滞から始まるあの映画。

素敵でした。

私はとっても好きでした。

 

映画を初めて観た時は、

うおー!曲かっこいいー!

せつねー!

完成度たけー!

画面キレー!

で、頭がいっぱいになってしまって、

 

その後もOP曲が脳内で鳴り続けて、

中毒のように次の日にも観てしまいました。

(頭の中を一旦整理したいものあって)

 

二回目はだいたい頭の整理がついて、

やっと一番強く感じた事が浮かんできたんですけど、

「出会うのは運命だし、出会わないのも運命だ」

という事でした。

 

あと、成功と失敗は表裏ではない事……(?)

んー、やっぱり人間が生きるのに、表とか裏だけでは生きていけなくて、

何面も何面もあって、だから道を転がっていけるといいますか……!

うひー感覚まみれだ!

 

あと、めっちゃ小さい事を言うと、

将来の夢、という要素はもちろんなんですけど、

ホウ・レン・ソウは大事だぜと思いました。

あの…一瞬、すれ違うきっかけが、

お互いの為っていうのもあったのかなぁと思って……

すっげぇ小さい事言ってるぜ!

 

歳を取ったら見方が変わりそうですね。

 

一番好きなシーンは、一番大きなオーディションのところでした。

次に、プールの水しぶきのシーン!

 

はぁ~儚かぁ~

きれいだったなぁ

さっきの追記

ざっと読み直したら、

猫を安楽死させるのが本当の愛情、みたいな

捉え方のできる文章になっていたので、

違いますよ!とだけ……

 

たくさんの座標の点を、まとめて考えなきゃいけないときが

あるんだなあという話しをしたかった……

 

 

命と愛情の位置関係(ペットロスについて考えた事)

命と愛情の位置関係って全然違うなぁと思った。

 

その日の朝、子猫の動画を見て、私はめちゃくちゃ泣いていた。

動画自体は幸せなもので、よかったねぇ…とウインドウを閉じたが、

今年の頭に死んだ猫のことを思い出して

一日中ブルーになってしまった。

(元から精神的に弱いのもあって、

悲しいから猫を思い出したのか、その逆かは分からない)

幸せな思い出を思い出すたびに、

病気にしてしまったのに、良い思い(綺麗に思い出す事)だけしていいのか迷った。

 

その日の夜色々あって、知り合いと食事に行った。

偶然、その方もペットを亡くしてすぐだったようで、

そういった話題になって、

家に帰ってから、というか今も、ずっと考えている。

 

 

ペットが病気になると、家で注射を打たなければならない事がある。

私の家もそれがあった。私自身、そこそこうまく打てるくらいにはなった。

 

当然(私の家の)猫は嫌がった。

室内猫にとって全ての世界である家族が、

痛い事をしてくる対象になる。

 

でも打たないと体はどんどん弱ってくるし、

注射を怖いからという理由で打たない家族にはなついたままになる。

(私の家では父がそれだった)

 

私は、猫が亡くなったと知らされたときに、ちょっとだけほっとした。

毎日苦しんでいる猫を見るのは、複雑な気持ちだった。

 

もちろん死んでほしくなんかないけど、

苦しくて食事もとれなくて家族も信用できなくて、病院もストレスになってて、

この子は本当に生きていて幸せなんだろうか?とずっと考えていた。

(もちろん生きているのは良いことだけど、他の要素が多すぎて、幸せ、という状態に出来ているかが不安だった)

それと、病気にしてしまった責任と、今出来る事はなにかを常に考えていた。

(ペットってなんだ、とも考えていた)

 

話しが少しそれたけど、

猫は治療を嫌がる、でもそれを人間はやめられない、

どっちが猫の為になっているか分からない、

というのは、ちょっとしたパニックだったな、と思った。

 

ペットへの愛情と、命の持ち主という自負が、織り交ざっていると思う。

 

可愛がる、という意味なら、当然苦痛は与えたくない。

 

注射をしてでも生かしておきたいのは、ペットの命を預かっているからだと思う。

自分の力で命を手放すのは恐ろしい事だ。

一度火を消したら、何をしても二度とつけることは出来ない。

 

それに、ほんの少しの「飼い主として好かれていたい」……というより、

「猫が飼い主を好きといえる状態でいさせたい」という気持ちもある。

 

命をどうするか預かっていること、ここちよい状態で居させたいこと、

自分の状態、気持ち、環境、

全部ばらばらの事だけど、いっぺんに考えなくてはいけないときもある。

 

正解は分からないけど、命と愛情の位置関係は、違うところにあるな、と思った。

 

猫が生きているのが幸せだにゃーって教えてくれたら何も迷わないんだけどなぁ

 

生かしてあげるのが本当の愛情、という可能性をあまり加味していませんでしたが、

一日中全部の可能性を書いてしまいそうなので、とりあえず。