ひよこ、すずりにむかいて

呼吸は残らないけど文字は残る

死にかけの蝉、ひっくり返すか?そのままにするか?

ドラッグストアに向かう途中、蝉がころがっていた。

坂道の途中で、コンビニのちょっと手前だった。

 

うわっ死んでる、と1m脇を通り過ぎるとき、

足が自転車をこぐように動くのが見えた。

生きてる。

 

蝉、声も姿も大きいし、怖いんだよなー、

夏ってやだなーと思いながら、

キッチンペーパーやもやし、

牛乳で溶く冷たいスープの粉などを買った。

 

小さい頃から、どうしても蝉が苦手である。

死にかけの蝉が特に苦手だ。

 

道端でじたばたともんどりうってる姿を見て、

「ああ今きっと苦しいんだ、死に向かっているんだ、

こんなに苦しそうなのに何も出来ない、ていうか触れない」

と思いつつ、逃げるようにその場を去る。

 

買い物を終えて坂道を降りていると、

若いご夫婦が足で蝉を挟んでいる。

 

まさかいじめているのか?!と思ったら、

「えいっ」と言って、蝉をひっくり返したようだった。

 

ご夫婦は去り、蝉は思ったより元気そうにてこてこ歩き出した。

 

その場では、ああよかった、と思って

家に着いた。

 

出しておいた布団を取り込んで、

さっき買った粉のスープを牛乳に溶いていると、

さっきのことを思い出した。

 

「死にかけの蝉ってひっくり返したほうが良いのかな……

さっき元気に歩き始めたし……」

 

色々調べて、どうしてひっくり返るのかは分かったが、

(昆虫の重心、コンクリートの地形など)

どうした方が蝉にとって良いのかは分からなかった。

 

蝉によくするってなんだ?

そんなこと出来るのか?

 

私は蝉によくしたい。

蝉が苦しさから解放されたら良いと思う。

 

しかし、蝉から見た人間はどう映っているのだろう。

敵なのか、単なる刺激や映像なのか。

 

そもそも心のようなものはあるのか。

 

私の言う「よくしたい」は、

死にいく命を救うことはできないので、

「蝉の心を楽にしたい」になる

 

それは、私が常々誰かにしてほしい事だ。

 

どっからが自分のためで、どこまでが相手の為なんだろう。

 

今日私が悲しかったのは、なによりも、

毎年いくつも見ている死にかけの蝉に、

どうしていいのか知らない事が、

無性に悲しかった。

 

 

明日あそこを通ったとき、死骸が残ってたらちょっと悲しいな。

 

そうだ、死骸が残っていたら、

びっくりしたり踏んじゃったり、ちょっと嫌になる気持ちの人も居るかも。

 

埋めたりしてそこから撤去するのも、

自分以外の何かの為、という点では同じだ。

 

ま、蝉触れないんだけど……。

 

世界の、関わる全てを救うのは無理なのは分かってるけど、

(自分がそんなに余裕のないほうなのも分かっている)

意思疎通できないものでも、どうにか少しだけでも

よくしてあげたい。

方法を知りたい。

 

おしまい!